2016年8月26日金曜日

争いというのは背後の神を観ないが故に争うのである


いつもご愛読頂き本当にありがとうございます。
とっても嬉しいです。とっても幸せです。
愛溢れるあなたに心から感謝しております。

争いというのは背後の神を観ないが故に争うのである


あなたの体験している今この瞬間の地球は、争いや競争に明け暮れている世界です。 

3次元物質世界の地球では、陰と陽、2つにすべてが別れています。




高いと低い、大きいと小さい、大富豪と貧乏、男と女、すべてが陰陽2つに分割されています。

陰と陽、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブに分れているからこそ、競争が存在し、争いが存在しているとも言えます。 

愛一元とは、この陰陽2つに分れる以前の状態を指します。




宇宙とはそもそも、愛一元です。

ということは、宇宙の本当の姿は愛一元ですから、陰陽2つに分割される以前の状態である、と言えます。




つまり愛とは、愛の本当の姿とは、大きいも小さいもない、高いも低いもない、富豪も貧乏もない、男と女、雄と雌もない状態を指すのです。

愛が無条件の愛であるのは、このことからも垣間見れるでしょう。




それ故、愛とは、宇宙とは、比較がない状態のこと、なのです。

比較がないから差別もない、すべてが愛されていて、愛おしい存在、すべてが神であり、すべてが創造主であり、すべてが愛そのもの、ということなのです。




比較や争いというのは、背後の神に気付いていないからこそ起こります。

すべての背後に神が存在している、あらゆるすべてが神と呼ばれる宇宙の愛のエネルギー、周波数によって顕現させられている、ということを知らないから、それを理解もせず、腑にも落としていないからこそ起きます。




争いの大半は、やられる前にやってしまおう、という自我から来てます。

取られたら取り返そうという自我から来ています。

現象の虜になり、目くらになっている自我から来ています。




自我とはエゴであり、マイナスのエネルギーであるが故、闇を創り出します。

個人主義で生きるとは、自我で生きる、ということであり、エゴで生きる、ということです。

これは分離主義で生きる、ということであり、縮小に向かうエネルギーで生きる、ということでもあります。




個人主義の反対語は、全体主義や利他主義になりますが、つまり、あなたという存在をあらゆるすべて、万物の中に置き、あらゆるすべて、万物に与えて生きる、それらと調和して生きる、という生き方が、愛に生きる、というとになるのです。




すべてが神であり、すべてが創造主、創造神であり、すべてが根本創造主の一部であって、すべてが愛そのものだとあなたが思った時、争いは無意味であり、単なるゲーム、お遊びであることに気付きます。




相手は神であり、あなた自身であるのに、それに勝ったことで喜ぶということは、いかにもナンセンスであることに気付きます。

相手から奪ったり、奪い返したりしても、その相手はあなた自身であり、奪っている様で、奪われている、というジレンマに陥ります。




地球人の大半は、エネルギーは限られていると錯覚させられ、その様に思い込まされているが故、その様な現実を創り上げています。

つまり、地球人は、地球人自身で、その様な世界を創造しているということなのです。




本当は、あらゆるすべての空間に、無限なる宇宙の愛のエネルギーが満ち満ちています。

大気とは、大いなる気が在る、という意味であり、気とは氣のことであり、エネルギーのこと、つまり愛のことなのです。




無限の人口を養う程のエネルギーは、あなたの目の前に在るのです。

そして、無限の人口が想像を満たす程の豊かに暮らせるエネルギーも、あなたの目の前に本当は存在しているのです。




あなたは、すべてが神であり、すべてが愛であり、すべてが無限のパワーであることに気付いていくでしょう。

あなたは、愛のエネルギーによって創られた現象を見ていただけだったのですから。




これに気付いた時、その時、感謝だけがあなたの中に存在するでしょう。

その時、宇宙が愛であり、感謝であることが、あなたにも知覚されるでしょう。




ご愛読頂きありがとうございました。

あなたが、ますます愛溢れるエネルギーとなり、
愛溢れる地球にシフトすることを
心から祝福いたします。

あなたと素晴らしい地球を体験できることが
とっても嬉しく、とっても幸せです。

あなたに心から感謝しております。
あなたを心から愛してます。

無条件の愛のもとに。